小説「青くて痛くて脆い」を読んだので、感想とか思ったことを書き綴ってみる。
こんばっぱー。お久しぶりです。
とはいえ、このブログを定期的に読んでいる方はいないと思うので「お久しぶりです。」というお決まりの挨拶は要らないのかなぁ、と思ったり思わなかったり。
今回のテーマは住野よるさんによる小説「青くて痛くて脆い」をようやく読み終えたので、感想をポツリポツリと呟いていけたらなぁと思います。
ネタバレするかは分からないですけど一応、念のため。
以下ネタバレ含むかも、です。
さて、読み終えて数日経った訳ですが、どんな話だったか詳しくは忘れてしまいました。笑
読んでて1番思ったのは、住野よるさんって人は実際に現実で、女の子をいっぱい傷つけてきたのかなぁ。そこに今でも後悔があるのかなぁと思いましたね。
住野よるさんによる作品は一応全て読んできましたが、今回の作品で確信めいたものを感じました。
私がそう感じた根拠の一つに、大体どの作品でも、登場する女の子(必ずしも女の子だけには限らないが)は傷ついて、傷つけて、そして、ほんの少し成長して行きます。少なくとも、私はそう読み、感じています。
何よりも、登場人物の傷つき方、傷つけ方が、やけに上手い描写だな、と感じます。
私は作品を通しての住野よるさんについての人間性に関しましては、おそらく。勝手な偏見も多分に入ってるとは思いますが。
かなーーり、不器用な学生生活をされたのかな?と思っています。笑
無論、それにもロジカルではないですが理由があります。
そう、私がかなり不器用な生き方をしているので余計に感じてるんですよね。
もし、住野よるさんが恐ろしいほどに器用で、あえて読者に不器用だと考えさせられているほどな方でしたら畏敬の念を抱かざるを得ません。
でも、恐らくは違うんじゃないかなぁ、と。
だからこそ住野よるさんの小説は、やけに現実的で、やけに描写が生々しく、それゆえ面白いのではないかなぁと思ったり。
急に文字の大きさ変えてスミマセン。ビックリしました?笑
と、まぁそんな具合に住野よるさんをリスペクトしているわけです。
ここまで読んだ方なら思っているかもしれませんが、「お前、全然この本についての感想書いてへんやん」と心の中でツッコンで下さっているかもしれません。
関西人な私としましては、ツッコンで下さって本当に嬉しい限りです。
少々ふざけましたが、私がこの本について抱いた感想は本当にこんな感じてす。
なんというか、本を通して、住野よるさんという人間が、中身がほんの少し垣間見れたような。そんな不思議な体験を読んでる間ずっと感じていました。
最後に、申し訳程度ではございますが、心に残った文章を1つ。
それは、こんな文でした。
主人公の楓が、バイト先の後輩の女の子である川原さんと2人で話しているシーン。
楓が自己嫌悪のようなものに襲われて、自分は空っぽな人間だと自嘲している場面での一幕。
川原さん「ーーーでも、ちゃんとしなくちゃ、ちゃんとしてて当たり前やって思ってるんやないかなって。もっと、こう、人って誰でもなんでもないやないっすか。」
川原さん「ーーー立場は違っても、ちゃんとしてない自分はいて当たり前やないかなって。
皆空っぽなんすよ。ーーーーいいんすよ、駄目な部分補うのは誰かに任せれば」( 以上、住野よる著:「青くて痛くて脆い」p261〜262より抜粋)
なんというか、この文章だけでも十二分に価値があったなと思える文章でした。本当にご馳走さまです。
本当にいい言葉、だと思います。
私も自分は空っぽな人間だと思っています。
そこで自己嫌悪することもあります。
なので特に共感していた場面の1つで、だからこそ、こんな素敵な言葉の使い方、返し方があるのだなと衝撃でしたね。
空っぽだからこそ、その隙間を埋めるにはどうしたらいいのか?と自問自答しては答えが出なかったですが、この一部分を読むことで、
「なんだ、自分で頑張っても無理なら、他の人を頼ったらいいんだな」と、なんだか心がラクになりました。
とまぁこんな風に、私も主人公の楓と同じように、自分に自信を持ちすぎていたり、視野が狭かったりしていた所があったようです。
そんな時こそ、この場面を思い出し、他の人に頼り、また頼られる存在になりたいと改めて考えさせて頂いた次第です。
嗚呼、こう言って励ましてくれる彼女、もしくは女友達が心から欲しいよ、、、